
先日、2月12日は福澤幸雄の命日でした。
福澤諭吉の曾孫にして、天才レーサーで、クリエイターで、ファッションモデルでもありました。
今の時代の言葉でたとえるなら、トレンドリーダーと呼べばよいのでしょうか。
レースでは、トヨタ7やトヨタ2000GTを操り、ファッションデザイナーとしての手腕をふるい、自らもモデルとしても活躍し、プライベートでもトヨタ2000GTを乗りこなし、当時の芸能界、特にグループサウンズのスパイダースやテンプターズにもだいぶ影響を与えたようです。
そんな、順調な人生を歩んでいた幸雄でしたが、2月12日 袋井のテストコースでトヨタ7のクローズトボデイ
のテスト走行中にコントロールを失い、激突炎上死してしまいました。当時のトヨタの企業秘密を余りにも重んじた対応が問題になりました。事故車両の提出を拒み、写真も違う車両の物を提出したりして裁判にもなりましたが、真相は闇の中です。警察も大企業の圧力に屈したのでしょうか。
その後も、トヨタチームの不幸はつづきました。 OH,モーレツで一世を風靡した小川ローザ(そういえば幸男の恋人も小川知子でした。)と結婚し幸福の絶頂だった、トヨタワークスのエース川合 稔もターボを積んだモンスターマシンのトヨタ7を鈴鹿でテスト中に事故死してしまいました。アメリカのCAN-AMシリーズ挑戦が決まった矢先のことで、計画自体が中止となり、ターボトヨタ7はレースに出る事なく悲運のマシンとなってしまい、その後トヨタワークスチーム解散後もトヨタ系列レーサーの不幸は続きました。
幸雄に憧れ、同じデザインのレーシングスーツとヘルメットでレース出場していた中野雅晴も富士のGCレースの事故で帰らぬ人となり、同じく佐藤文康もGCの練習走行中に事故死してしまいました。
復活したトヨタチームのエースとして期待されていた小河 等もヨーロッパでのレースで、トヨタワークス初の優勝を飾り、帰国して出場した鈴鹿でのF3000レースでの、不幸なアクシデントによって命を落としてしまいました。これからの飛躍が期待されていただけに残念でした。トヨタチームトムスの舘監督の息子もスープラでのレースで命を落としました。 思い起こせば、浮谷東次郎もトヨタ系のレーサーで、S600で鈴鹿サーキットでの練習中に、コースに飛び出してきた人を避けようとして、事故死しています。
安全対策と技術の向上で、レース中の死亡事故は減ってきていますが、事故が二度と起きない事を祈るばかりです。
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